螺旋の道

久遠蓮による、ぐだぐだブログ。 毎日更新中。

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3.11

あの日から、1年です。
東北の人をはじめ、どうでしたかね?この1年は。


あたしはこの1年前、たしか終業式で、当時の文芸部のみんなと、カラオケにいました。
カラオケにいた、なんていうと思わず笑っちゃうんですが、まさに普通だったんです。
普通に学校行って、友達に会って、「明日から春休みだな~」とか言ったりして。
普通の日でした。


あたしの考えというか、持論として「現代ファンタジーは、『何気ない日常に非日常がぽつんと存在すること』が中身の中で成立していれば書ける」ってのがあるんですが、この3.11は「合ってほしくない非日常」でした。


カラオケの回りは、ブロック壁も崩れていない状態で、外観だけ見ればなんも変わりない日常が広がっていました。
しかし、人の様子はあり得ない非日常を表していて。


カラオケをでてから最初にしたのは、公衆電話から妹がいるはずの家に、電話をかけることでした。
妹がでてくれた時、どれだけ安心したかわからない。
しかし、文芸部のみんなからしてみたら、あまりそんな風には見えなかったかもしれない。
V6のCDがどうだとか、ピアノだとか、パソコンのデータだとか、それは無事かななんて言ってました。
今考えてみると、一種の現実逃避だったのかもしれません。
家族が心配でした。
もしも、を考えないためにあたしはそんなことを口にしていたのかも。


やっと、父の迎えの車に乗り込むことができて、見知った道を行きました。
ヒビの入った道路、溜め池近くの道路は半分陥没。
家に近づくごとにブロック壁は崩れていて、あとから聞いた話では、カラオケのある同じ市の山の方では土砂崩れが起きていて、何人そこにいたのか・・・。
家族4人、家に揃ったときは、母が割れた食器の片付けをしていました。
我が家は、倒壊を免れ、今現在でも生活をしています。
しかし、倉は手の施しようがないくらいに土壁は崩れてしまいました。


コンビニやスーパーは、まるで何日も物品を入れていないかのように、なにもなくて。
水やパン、食料になるものは何一つ。
父と妹が震災から数日後に病院に行く予定があって、電話してみたら「来てもらって大丈夫だ」と言われたので、二人は父の車で行きました。
その帰り、ダメ元でコンビニに寄ると物品が入った直後だったらしく、パンが置いてあった。
お土産、というのには、いつもだったら疑問を覚えるものですが、帰ってきてくれた、そして買ってきてくれたそれが、どこか安心をくれました。


何日も何日も、大きい余震が続き、その度に目を醒ますことがありました。
一階の茶の間で、雑魚寝して。
ただ、恐かった。
原発なんて、今まで注目したことのないものに、現実を壊されていくような感覚で。
地震速報の音が携帯から流れる度、身を固くして。
情報が錯綜し、どれが正しい情報がなのかを疑い。
なんなんだろう、と思うばかり。


たくさんの命が、消えました。
あたしは、離ればなれになった人はいないけど、あたしの高校にも、転校生はきました。


しかし、あたしにとっては震災で失ったものは、ないに等しいくらいです。
本当に大事なものは、失いませんでした。


あたしにとっての3.11は、忘れられないものであると同時に、忘れなくても大丈夫な記憶です。
持っていても、たいした傷にはならないから。


ただ。
ただ、「最愛の人に」なんて言葉は今でも。
いつまで経っても聞きたくない。
今一番でかい傷が、塩塗られるように痛む。
あの日はまだ、いてくれたのにって思うばかりで。
まだ、元気で。
まだ、笑っていてくれていたのに。


2.18。


今でも、居間で3人でいても、遺影を見ない限り、「まだ母さんは入院してるんだな」って思います。
まだ生きていて、つまんないよ~、早く帰りたいよ~ってメールをくれて、病院に行けば、母さんがまだいてくれる。
そうしなきゃ、生きていけない気がして。


時間は待ってくれない。
待ってと思っても、個人の意見など、世界は聞いてくれない。
時間は聞いてくれない。
この震災も、あたしにとって二度と来てほしくない、しかしこれが最初の本当の死の日も。


時間が誰かの気分でとまったり、早く流れたりするものじゃないのは、救いなのか皮肉なのかは、わからない。


絶対、これから先こうしたことが起きて、最愛の人の死を、再認識する日はあといくつあるだろうか。
いつもは、真実のような嘘の膜を張った、死という真実を。


わからない。
でも、傷はやはり癒えることはないんです。
時が解決してくれる、なんて無理なんです。
忘れたい、もうたくさんだ。
そう思うものほど、忘れられないもんですから。


たくさんの命が消えました。
たくさんの物が壊れました。
たくさんの傷を負いました。


忘れるなんてできません。
この日にあった真実も、この日にあって、今ない命のことも。
だからこそ、涙を流しているのですから。
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